煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。トップ画像

金太郎コンプレックス目次

本表紙金太郎コンプレックス国分康孝・国分久子 著

ピンクバラ第一 男VSおんな

「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました」。
 これは私たちが小さいとき、何回もきかされた桃太郎のおとぎ話の導入部分である。このおじいさんとおばさんのあり方が、男女関係の好ましいあり方だと思う。好ましいというのは、役割は分化しているけれども、それが支配・服従関係でなく、協力関係になっているからである。

ピンクバラ男の罪意識

私からカウンセリングをうけたおかげで、登校拒否だった息子が無事復学できたとお礼にきた父親がいた。
「ほんとうは家内も来るはずだったんですが…」と彼は申しわけなさそうにいった。私はまた出かけに夫婦げんかでもしたのかと思った。
「女房の奴、最近ふとりましてねえ。服が体に合わなくなったんですよ。はじめて会う先生に変な格好で会うのは恥ずかしいというんです」と。

ピンクバラ第三 女性化された男たち

ある教授が授業で『シンデラ・コンプレックス』の本を紹介しようとしたら、女子学生に「その本はなるべく女子学生にはすすめないでほしい」とストップをかけられたという。これからの女性は職業の世界に進出しなければ人間としての自立はない、その本は女性のそういう勇気をひるませる恐れがあるというのである。
 たしかに今は、全労働者の40%が女性によって占められている時代である。この女子学生の意見は時代の声であるように思う。ひとことでいうと、現代の女性はなかなか意気盛んである。

ピンクバラ第四 女性不信の男性

職場では感じの強い男性でも、家では「問題の夫」「問題の夫」ということはよくある。ちょうど学校ではおとなしい子供でも、家では暴力児というのと同じである。
 男同士のつきあいでは評判の良い人物でも、妻や娘からみると最低の人物ということがよくある。男に惚れられる男は、男の中の男であると聞いたことがあるが、はたしてそうであろうか。どうもそうではないように思う。そういう男性は女性に対しては必ずしも、男の仲間に対するほどには心やさしくないからである。これは文化的影響のほかに、その男性の個人的事情によるのである。

ピンクバラ第五 憎悪とのつきあい方

運悪く、こういう男性と一緒に人生をすごすはめになった場合、どうすればよいのか。離婚できないのであれば、まず自分の考え方をかえるのである。
「私はこの男の妻である」と思っているから、妻として扱ってくれない不満が生じるのであ。しかしよくよく考えてみれば、こういう男性は夫という役割をこなすには不適なのである。つまり実質的には夫でない。したがって私も妻である必要はないと考えることである。妻でありたいのはヤマヤマであるが、妻たりえないのが実情である。そこで思い切って「私はこの神経症的な男の看護婦である」とか「私はこの問題児のカウンセラーである」と、自分の立場をガラリとかえるということになる。

ピンクバラ第六 男の誤算・女の誤算

ひと頃ウーマン・リブの運動が盛んだった。男性支配の世界に対する女性たちの自己主張の運動であった。その旗頭のひとりがベティ・フリーダンである。私たち夫婦が留学中の1960年代は、フリーダンの『新しい女性の創造』三浦富美子訳、大和書房、1965年がベストセラーであった。
 ところが彼女は、1970年には自らの創設した全米女性機構NOW(National Organization of women)の初代会長を辞任したという。それは、彼女が男性に挑戦する立場から男性と協調する道を模索しはじめたからだ、と国際女性学会(代表幹事・岩間寿美子)は解しているようである。6年余りのアメリカ滞在の経験から、私たち夫婦もこの解釈は妥当だったと思っている。男女の対立抗争は日常生活を荒廃させ、孤立を促進したと思う。

ピンクバラ女の誤算:その1――男はつよい

男はつよいと思って憎まれ口を平気でいう女性がいる。男はニコニコ笑ってきいているので、ますます調子に乗ってしつこくやりこめる女性がいる。
 あるときそういう男が相談に来た。一晩中女性に問い詰められて、解放してもらえないことが何回もあるという。恋愛関係でない。女性(30歳)はその男性(60歳)に父を求めているらしい。私はその女性に手紙を書いた。

ピンクバラ第七「男のホンネ」

多くの女性は、男性が女性に何を期待しているのか、女性がどう振舞えば男心をそそるかに関心があると思う。男は男で同じことを女性について考えている。一人前のおとながティンーン・エイジャーなみの関心をもつことに苦笑するかもしれないが、これは大事なことである。こういう関心があるがゆえに、自分は男である。自分は女であるというアイデンティティを保つことができるのである。
 異性にもてるもてないは、酒のつまみ以上に意味のあるトピックである。というのは「もてる、もてない」というのは男性のアイデンティティ、女性としてのアイデンティティを定めるのに有効な体験だからである。

ピンクバラ男のいじらしさ

男が男としての自分を自覚するのは性感情においてであるといった。そして男は女に何を期待し、女は男に何を期待しているかを述べてきた。さて、そこで第三にふれねばならないことは、男自身は女性に対してどうしたいと思っているかである。
 たいていの男性は、何とかして女性に性的快感を与えたいと思っている。男性は自己本位だと思っている女性が少なくないが、男性はセックスに関する限りそれほど自己本位ではない。さっさと果てしまうのは生理的なことで、心理的に少しでも長持ちさせようと願っているのである。

ピンクバラ第八「臆病な男心」

男は誰でもガールハントには積極的なものだと思うのは間違いである。男というものは、女性が期待しているほど積極的ではない。むしろ男は男女関係について非常に慎重である。つまり臆病である。街を歩いていて男に声をかけられたとか、電車の中でしつこくアプローチしてくる男に閉口したとか語る女性がいる。しかし、それはごくごく一部の男性である。大部分の男はその逆である。手も足もだせずイライラしているのがふつうである

ピンクバラボーイハントの前提条件

男性と人間関係をもつための契機はどうやってつくればよいのかと女性は問う。その原理は次の三つになると思う。
 第一は、男性がひとりになっているときをねらえ、である。女性もそうであるが、男性もグループのなかにいるときと、自分ひとりのときとでは心理状態が違うのである。仲間と一緒にいるときは、特定の女性に関心を示さないようにするのがおとなの常識である。

ピンクバラ第九「金太郎コンプレックスの解放」

男児は金太郎のようにつよくあらねばならぬというビリーフをうえつけられている。それゆえ、かなり無理して男らしく振舞っているところがある。こういう心理傾向をこの本では「金太郎コンプレックス」と命名した。
 本章では、男は金太郎コンプレックスから解放される必要があるということを主張したい。

ピンクバラこれからの男たち

これからの女性は自己主張的になるはずである。むかしのように泣き寝入りしなくなる。イヤなことはイヤというようになる。離婚の申し立ても女性の側からのそれが増えてくるとか、少女の暴力非行が増えているとかは、今後の女性の攻撃性の外向化を暗示していると思う。
 ところが、女性の外向化をイヤがる男が少なくない。自分は浮気している癖に、女性の浮気を許容しない男の心理がそれである。喫茶店で女性が割り勘でいこうというのをイヤがり、自分で払う男。つまり男のなかにはいつでもどこでも常に男が優先でないと気がすまない人がいる。女性を服従させたがる男である。

ピンクバラ10章「結婚の心理」

女性に警告しておきたいことがある。それはどんな好きな男性でも、やがて絶望することがあるということだ。目下恋愛中の女性は、そんなこと信じられないと思うだろうが、だいたい次のような事情からそうなるのである。
 ? 「私つくる人、あなた食べる人」

ピンクバラ男の一発発起

男としてはどうするのがよいのか。
 まず、今の世の中はむかしのように、オレは男だ! と力む分野がだんだん少なくなっていることを認識することである。オレは男だ! と支配性を頼みにするがゆえに、支配されると不愉快になるのである。はじめから男女が協力して生きていくのだというコンパニオンシップに徹すれば、「ええい、面倒だ」となげやりにはならない。男女の性別と無関係に、あることをできる状態にあるほうがすればよいわけである。

ピンクバラ「男のアイデンティティ」

男のアイデンティティ」  11章
 人生とは欲求充足のプロセスである。ところが女性はその欲求を満たすのに男性に比して障壁が多い。身体的なことならまだあきらめもつくが、その障壁が「人災」ならば腹が立つのは当然である。この人災による障壁を性差別というのである。

ピンクバラ母親からの離脱――稚心を去れ不惑の年になっても、人に自分の母を語るときに「私の母さんが…」という人がいる。これは母定着のしるしである。心理的離乳が未完成のしるしである。一人前の男になるということは、母定着から卒業することである。稚心を去ること、これが男らしさの第二の特性である。

ピンクバラテンダーネス・タブーからの解放

これからの時代の男らしさの第三の特性として、やさしみの情をあげたい。
 精神分析学者サティ(『愛と憎しみの起源』黎明書房)のことばに、テンダーネス・タブーというのがある。男というものは、やさしさを表現することをためらう傾向があるというのである。それは文化が男のやさしさ(tenderness)を忌避(きひ)したからである。

ピンクバラ「おとこ心のQ&A」

◆ 男性の自己中心性
Q:男性のエゴ(この場合は自己本位の意)をあげるとしたらどんなことが一般に言えるでしょう。
A:男性は一般的に仕事志向、地位志向ですから、人の業績でも自分のもののような顔をしたがることだと思います。注意深い上司はかなり意識して「これは部下の○○君の功績です」とトップに報告します。意識しない限り、ついうっかり自分だけの手柄顔する傾向が男性にはあるようです。
 それゆえ男性のエゴは女性のわがままは少し違ったエゴです。対照的にいえば男性のエゴは競争心(攻撃性)、女性のエゴは甘え(愛情欲求)が主流を占めていると思います。

ピンクバラ◆ ふたまたかけた愛

Q:女性はつき合っている人がひとりいたら、他の人には目を向けないことが多い。ところが男性は他の女の人とつき合うことができます。どうして両天秤をかけられるのですか。